創業約80年の老舗下着メーカーが推進したデジタルシフトとは?
「ワコール」ブランドを支えるOMO戦略【前編】
- 2025.12.17
- 特集
人気ブランド『WACOAL』や『Wing』などを展開する株式会社ワコール。近年では、EC・アプリ・OMO店舗を軸に、顧客一人ひとりに寄り添う新しい購買体験を創出しています。今回は、ワコールSCM本部 D2C統括部 オウンドEC営業部長 小池麻衣子氏と、スマイルエックス合同会社CEO/日本オムニチャネル協会フェローの大西理氏による対談を実施。前編では、ECの黎明期から現在までの歩みや顧客体験を起点とするDX戦略について語り合いました。
現場からデジタルへ。新しい挑戦を重ねてきた歩み
「顧客とつながる場所」で築いてきたキャリア
――自己紹介をお願いします。
小池 麻衣子氏(以下、小池):現在、オウンドEC営業部長として自社EC事業を統括しています。入社したのは直営店事業が立ち上がったばかりの頃で、出店準備や店舗オペレーションに携わっていました。その後、通信販売事業部に異動し、当時のカタログ通販や初期の「ワコールウェブストア」を担当しました。ECという言葉が今ほど浸透していなかった時代に、20代でオンライン販売に関わることができたのは大きな経験だったと思います。
その後は『Wing』ブランド内の新規ブランドのMDを経て、ブランド側からECの拡大にも携わりました。直営店や通販など、顧客と直接つながる領域を中心にキャリアを重ね、現在はワコールウェブストアの責任者として、デジタルを軸とした事業推進を担当しています。
大西理氏(以下、大西):直営、通販、MD、そしてECと、ダイレクトチャネルをすべて経験されていますね。しかも、社内でも新しい取り組みを担うポジションに多く就いてこられた印象です。
小池:幸いにも、若い頃から新しい挑戦の現場に関わらせていただく機会が多かったです。
2000年、アパレル業界に先駆けたEC参入
最初の1歩は、カタログ通販の基盤を活用した
小池:ワコールがEC事業を始めたのは2000年頃。当時のアパレル業界では非常に早い取り組みでした。先輩方がインターネット通販の将来性を見据え、新規事業として社内に提案し、既に展開していたカタログ通販の基盤を活用してスタートしたと聞いています。当時は卸売と店舗販売が主流で、ECは未知の領域。最初は限られた商品だけを扱う小規模なスタートでした。
大西:当時、アパレルで自社ECを立ち上げていた企業はほとんどありませんでした。多くのブランドが本格的に参入したのは2007年以降。2000年というのは、まさに業界の先駆けですね。
在庫確保と社内調整に苦労した黎明期
小池:卸売と店舗販売が中心だった当時、ECを新しい販売ルートとして広げるのは簡単なことではありませんでした。チャネル間の競合意識もあり、「店舗の売上を奪うのでは」といった懸念もあったのです。社内の理解を得て主力ブランドの商品をECで扱うまでには時間がかかりました。
大西:メーカーがECを始めるときに難しいのが、在庫確保と予算組みですよね。どれだけ売れるか分からない中で、ECチャネルが独自に商品在庫を持つことには、色々なリスクがありますよね。
小池:まさにそうでした。最初の頃は各ブランドの商品を自社EC用に選定、発注し、倉庫も別々。効率的とは言えない状況でした。現場の努力で少しずつ仕組みを整えながら、2022年には全社戦略として在庫統合を行い、現在では、リアル店舗とECで倉庫や在庫を一元化しています。
ニッチニーズに応えた「小さく見えるブラ」が突破口に
小池:初期のECでは、小さいサイズや大きいサイズなどリアル店舗ではなかなか扱いづらいサイズ展開の商品の動きがよい傾向がありました。 店頭では在庫が限られがちな商品も、ECなら全国のお客様に届けることができました。
大西:確かに、当時から「店舗で買えないサイズはネットで探す」という文化はありました。ニッチな需要を拾えるのがECの強みですね。ECがワコールさんの中で本格的に認知されたきっかけは何だったのでしょうか。
小池:ひとつの転機になったのは「大きな胸を小さく見せるブラ」のヒットです。当初は「ニッチすぎるのでは?」と言われていた商品ですが、ウェブ限定で発売したところ、想定を上回る反響でした。特有の悩みを持つお客様の声に応えることで、「こうした商品はECでこそ売れる」と社内でも評価されるようになりました。この「大きな胸を小さく見せるブラ」は、ウェブ限定から店舗販売にも広がり、今ではロングセラー商品となっています。
大西:まさにECの特性を生かした成功例ですね。リアル店舗だと在庫リスクが高く、全国で展開しづらい商品でも、ECなら商圏を超えて需要を拾える。潜在的なニーズを掘り起こした事例だと思います。
コロナ禍で一気に加速したデジタルシフト
大西:現在では売上全体の約2割がECと聞いています。その規模に至る転換点はやはりコロナ禍でしょうか。
小池:コロナ禍の影響は大きかったですね。店舗が営業できなくなり、お客様がECを利用せざるを得ない状況になったことで、社内の風向きも変わったように感じます。ワコールの場合で言うと、コロナ禍以前から、顧客ID、サービス、アプリの全社統合をすすめており、システム的にも社内風土的にも顧客基盤の整備をしてきていたことが、急激な変化に対応できた要因だと感じています。
大西:他社では、ECでの受注は伸びたが、その反面、物流や顧客対応などが未整備でドタバタだった企業も多かったと聞きますが、ワコールは通販基盤がもともとあったため、物流、顧客対応の心配がなかった。だからこそコロナ禍を、ECを加速させる機会にできたのですね。
小池:そうですね。すでに動いていた直営店の会員アプリを通じて、お客様をECにスムーズに誘導できたので、店舗が営業できなかった時期には、オンラインへのシフトが一気に進みました。
データ統合でつながる「リアルとデジタル」
会員制度刷新とアプリ導入で顧客体験を一新
大西:2022年からは顧客情報統合、会員制度の刷新、公式アプリ導入、「ワコールウェブストア」のサイトリニューアルと、大きな変革が続きました。狙いはどこにあったのでしょうか。
小池:もともとは各チャネルそれぞれが会員データを保持していて会員データが分断されており、「同じお客様なのに履歴が共有されない」という課題がありました。チャネルごとに分かれていた顧客情報をひとつにまとめ、お客様との「シームレスな関係」を築くことが必要でした。
そこで、2022年にすべての顧客情報を統合し、会員情報・ポイント・購入履歴がひとつのIDで管理できるようになりました。また、同年、流通再編による在庫一元化、個配機能の強化、「ワコールウェブストア」のサイト全面リニューアルも行い、顧客の利便性向上を図りました。
統合を支えた「現場の力」と「ブランド力」
大西:顧客情報を統合するとなると、相当なご苦労があったのではないでしょうか。
小池:仕組み面の整備や現場オペレーションの調整は別部門の担当でしたが、取引先への説明や理解促進が必要だったと聞いています。一方で、スムーズに移行できたのは、現場の販売員の力によるところが大きいです。以前は紙カルテで管理していたお客様情報をデジタル化し、接客の中で丁寧に案内してもらったおかげで、多くのお客様がデジタルに移行してくださいました。
大西:店舗の信頼関係が大きな後押しになったわけですね。ワコールさんの強みの一つが「ブランド力」ではないでしょうか。多くのアパレル企業はブランド単位で動いており、企業としての一体感を出しにくいところがあります。でも、ワコールさんは「ワコール」という会社自体がブランドとして認知されている傾向が強く、ブランド横断で全社を挙げて取り組む地力があると感じます。
小池:国内店舗は直営店や卸先を含め、2,000以上の店舗があり、たくさんのお客様に支えていただいてきたという歴史的な背景があると感じますね。
大西:一方、ワコールさんにはコンディショニングウェア『CW-X』など運動時向けの商品やメンズインナーもありますが、「女性下着のブランド」という印象が強いように思います。また、若年層ターゲットのブランドも展開されていますが、お客様の年齢層は少しずつ上がっているイメージもあります。
小池:確かにその側面もありますね。だからこそ、「ワコール」という名前は大切にしつつ、「年齢問わず気軽に立ち寄れるイメージ」に変えていく必要があると思っています。その施策の一つがOMO型店舗やデジタルデータの活用だと考えています。
インタビュイー紹介
株式会社ワコール
SCM本部 D2C統括部 オウンドEC営業部長
小池 麻衣子さん
スマイルエックス合同会社CEO
日本オムニチャネル協会フェロー
大西理さん